ガラスが波長とよく共鳴する素材である事は、良く知られています。共鳴するという事が何の役に立つのか?という事を瞑想や念(祈り)の経験を通し想うままに当てはめて実験的に試みてみました。

鋳造ガラスのイーゼルに、手形のレリーフの施した鋳造ガラス板を立てかけた
Medi[te]tionという作品、シリーズ一番最初の作品です。
家庭で一人で瞑想がつづけられる事のヘルプが出来ないかな?と想った時には、
イメージがもうすでに頭に来ていたので作ってしまいました。
 が、さて、これは、何なんだろう?
とにかく自分が日々している瞑想(平和の祈り)に、これを使ってしてみようと想った。
瞑想や印(発声と体の動きを合わしたもの)をしているうちに気がつく事が、色々出てきました(印と世界平和の祈りについて、詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧くださいhttp://www.inproject.org, http://www.byakko.or.jp)。


1. 曇ったバブル入りの厚みのあるガラスを見ていると雲の動きで変る
  日の光が感じられ、川の流れをただボーと見つめている時の様
  な気になる。

2. 手から発せられる血の脈動がガラスに伝わり又、返される。最初
  異和感を覚えるが、そのうち一つの増幅された波動になる。ガラ
  スが柔らく暖かく、自分の体と違和感が無いのに気づく。
  ヘ?これが共鳴というモノかと想った。
 
3. このガラスを媒介に太陽の光の波長との共鳴しようと想う。かな
  り良い気になる。

4. ガラスが瞑想時の私の波動を帯動してるように感じる。

さらに同時期、お墓という物を考えさせられた。
人が亡くなると入れられそこに行けばその人と会える様に想える。
イメージが暗いし悲しい。ひとが生きているうちから、何か自分の波動を残す様に
すれば、そこに帰ってきやすいし、イメージも明るく別の世界に住んでるだけで、
ドアみたいな物を通して残された家族と話せたらよいな〜と想う。この想いが、
出来れば瞑想時に出会う本心の波動を残すのにガラスの共鳴性を活かせないか
と言う事に繋がり"メディ「て」ション"のコンセプトの1つになる。

"メディ「て」ション"を使って平和の祈りのパフォーマンスを4度、2〜3年にわたり
おこないいました。
"祈りのパフォーマンス":私も信仰している世界平和の祈りと"我即神也"と
"人類即神也"という印(発声と呼吸と体の動きのかみ合った動き)を組みました。
これらの体験は、私にとって非常におもしろいものでした。
一度 野外でした時、小学生のグループに隙間無く囲まれてしまいました。
この時ほど共鳴度が上昇した事はありませんでした。
子供の体は、それ自体が水の入った樽の様で波動というにふさわしい位、
空気が振動しているのが感じられました。其の中央で印をガラスを前にして
組んだとき、そのエネルギーが外にもれずに子供の円がホースになって水を
噴き出す様に空に向かって噴出していきました。それが何の意味があるのか
なんだかも判らず、ただ凄いと想いました。自分でやってみて自分で凄いな?
と想う様な事が良くあり、それが人が見て理解出来るかちょっと判りません。
自分でも凄いとは想ってもそれが何であるか判らないのでさらに、他人にとっては、
雲をつかむ様な話だと想います。


それ故この関連モノは中断というか中休みが非常に多いし長いモノでした。

Medi[te]tion  1999
Touch&roll 2001
Akadama 2002
Healing boy 2004
girl 2004
cupple 2004
baby 2004
A piece of water 2005
Aodama 2007

Medi[te]tion は 手形で  Touch&roll は、足形です。
この違いは、手形は対峙する形を取りますが、足形の場合、其の上に乗るというダイレクトな物です。この違いに気ずき作らなければと想うのに2年間懸かりました。なんでか判りません。
Akadama と Aodama はシリーズと言えるのですが5年のギャップがあります。